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会報「わが町三原」令和3年12月号

公開日:2021年12月06日 最終更新日:2023年06月30日
登録元:「みはら歴史と観光の会
タイトル
会報「わが町三原」令和3年12月号

詳細

〔 大和町神楽団による大蛇退治 〕

 令和3年の三原浮城まつりは、従来の期間3日を1日に短縮して、11月7日(日)に挙行された。メインの甲冑隊行列が駅周辺を練り歩く一方、三原城跡歴史公園には仮設のステージが設置され、数々の演目の中に三原市無形民俗文化財に指定されている大和町神楽があった。時節柄、三原市の名山筆影山にコロナ菌を撒き散らす大蛇が出たので、これを退治するというシナリオであった。狭い舞台で3匹もの大蛇が勢いよく巧みに暴れまわる演技に、100席位の椅子席が超満員の客席から大拍手を浴びていた。酒に酔った大蛇に囲まれた素盞鳴尊は一時危なかったが、無事退治できた。  さあ!コロナよ!鎮まれ!

2021.11.07 撮影 鈴木健次(宮浦)

< 表 紙 >
表題:コロナ菌撒く大蛇退治
写真:大和町神楽団による大蛇退治







< 目 次 >

銀座・三原橋交差点の命名を推理
         市原市 下西 勝彦

昭和22年の天皇行幸(1)
        沼田東町 西村 雅幸

日本の牛と馬、交通の歴史(18)
         中之町 三次 邦範

三原市のカワウ対策 
第2報(前期) (8)
        幸崎能地 行長 啓三

会よりの便り         事務局



< 行 事 予 定 >

1.勉強会 「三原浅野氏を学ぶ」

 12月は休講とします。

2.レキカン創立30周年誌の発行予定日延期

 本年12月発行を予定しておりましたが、事情により来年3月に延期します。申し訳ありませんが、しばらくお待ちください。

3.令和4年 初日の出拝
 …(NPO法人浮城桜山会と共同)
  参加者募集!!

 R4年1月1日7:20頃
桜山頂上にて初日の出が拝めます。
 初日に向かって、気持ちも新たに、明るく乾杯しましょう!



 *申込み及び会費不要。
    ご自由にお集まりください。


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. 【R3.01.01 の初日の出】









< 歳 時 記 >

銀座・三原橋交差点の命名を推理

        市川市 下西 勝彦

 先月、思い立って「歌舞伎座」へ行きました。松本白鷗が久しぶりに出演するのです。松本白鴎(前名・幸四郎・染五郎)は午年生まれ私の、同級生です。歌舞伎座はもちろん、三階B席、一幕見です。

 観劇のあと、広島県アンテナショップへと、銀座四丁目へ向かいました。すると「三原橋」…学生時代から何度か通りましたが、今日は何かひっかかりました。なぜここに、銀座四丁目の南、二百メートルに「三原橋」が。少し周りを歩きました。すると、警視庁三原橋交番三原橋病院、左へ折れる道は「銀座三原通」「三原小路」「中華三原」

 なになに、家へ戻り、アンテナショップで買った「酔心」を飲みながら、江戸時代中期の古地図を開きました。

 しかし、この橋は「新土橋」と有りました。下は三十間堀川でした。ああ何だと、古地図を畳もうとしますと、すぐ南に「安芸藩下屋敷」えっ、何か繋がるなぁ。浅野家下屋敷の前の橋は「三之橋」でした。

 もう一度、古地図をめくりました。江戸時代後期の地図です。あった!、何と「三原橋」と書いて有りました。「三之橋」は、えっ「安芸橋」… これ、なあに。なるほど、分かった。
 
 江戸時代後期に、新土橋と三之橋が、老朽化し、架け替えとなりました。その時、浅野藩が費用を負担したのです。で、名前を付けさせてもらいました。下屋敷の前の橋は「安芸橋」。 現在は、築地市場の場外市場の位置です。で…新土橋は、それは「安芸」への入り口。
 なら、当然…「三原橋」と、名付けたのです。この推理、正解?


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.【会員募集】
興味のある方 是非ご連絡下さい。
  只今 会員募集中!
 ご連絡をお待ちしております。
  「みはら歴史と観光の会」
■電話: 080-6335-9932
事務局;三原宮浦 鈴木(スズキ)迄





< 活 動 報 告 >

10月14・27日
 月報発送作業
 (金森、桑田、小森、近藤、
  正田哲、瀬畑、高杦、
  津島、西村、松竹他)

10月30日
 勉強会「三原浅野氏を学ぶ」(33)     …於 サン・シープラザ4F
第2研修室

11月08日
 11月度理事会
(今後の活動について)

11月18日
 県史協蒲刈島大会 …20人参加

11月21日
 桜山定例整備(大原、鈴木)


< 編 集 後 記 >

★三原城跡船入櫓の石垣から22kg程の石が落ちたと市民から通報があり、市教委文化課は、石垣沿い道路の通行禁止看板と接近防止の柵を設けた。
幸い怪我人はなかったが、孕の起きている石垣は、以前から専門家も対策の必要性を指摘されている箇所であった。

★築城前は島だったことを証明する岩礁があったり、石垣の積み方や刻印を真近で見ることが出来て、天主台跡に続く三原城跡の目玉的存在であるだけに、市の関係者も中々通行禁止の処置に踏み切れなかったのだろうか?

★三原城築城450年記念の際、「三原城をとりまく標柱めぐり」というパンフレットを発行した。レキカンが立てた石柱を中心に配置を示したものだが、その後、明善堂跡標柱の追加等の変更があったので改訂版を作成し皆様に配布しました。実際に巡ってみる等有効にご活用ください。(健)



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