会報「わが町三原」令和3年7月号
詳細
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[ 献花と卒塔婆 および
小早川隆景公命日の法要 ]
令和3年6月12日、米山寺小早川家墓所において隆景公命日法要が執り行われた。同墓所の災害復旧後、初めての法要であったが、新型コロナウイルス感染防止の緊急事態宣言下であったので、関係者のみで粛々と行われた。
写真を提供していただいた米山寺さんからは「来年は丁度日曜日に当たるので、状況が改善すれば是非沢山の人にお参りいただきたい。墓所の復旧にご支援いただいた遠方にお住まいの方々も、SNS等で来年はぜひお参りしたいとのメッセージを寄せていただいています」とのコメントが届いている。
2021.6.12 撮影 写真提供 米山寺さん
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< 表 紙 >
表題:小早川隆景公命日の法要
粛々と
写真:献花と卒塔婆 および
小早川隆景公命日の法要
< 目 次 >
沼田川クリーンキャンペーンに思うこと
城町 山本 公恵
足利義昭は三原へ来たか?(1)
糸崎 大谷 和弘
日本の牛と馬、交通の歴史(13)
中之町 三好 邦範
三原市のカワウ対策 第2報
(前期) (3)
幸崎能地 行長 啓三
会よりの便り 事務局
< 行 事 予 定 >
1.勉強会 「三原浅野氏を学ぶ」(30)
(1)日時 : 令和3年7月31日(土)
場所:港町福岡文庫
10:00~12:00
マスク着用にご協力願います。
(中止の可能性あり)
2.行事予告
…以下の行事が予定されていますが、いずれも今後の新型コロナウイルス感染の状況次第で実施可否が決定されますので、追って詳細内容お知らせします。
(ア) 11月03日(祝)
レキカン秋のバス研修旅行
鬼ノ城(岡山県)・岡山城方面
(イ) 11月18日(木)~19日(金)
県史協「下蒲刈大会」
初日は、呉市下蒲刈町 弘願寺がメイン会場で、総会と講演会、翌日は希望者のみ大崎下島・御手洗歴史保存地区の見学
(ウ) 11月21日(日)
市郷連現地研修 本郷大会(沼田文化研究会主管)
午前中 講演会。 午後 東禅寺、蟇沼神社、弁海神社見学
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< 歳 時 記 >
沼田川クリーンキャンペーンに思うこと
城町 山本 公恵
沼田川は、広島県のほゞ中央に位置し、流路延長47.8kmの二級河川で、途中多くの支流を合わせ乍ら、三原市街地を貫通し瀬戸内海に注いでいる。
コロナ禍で、昨年に続き今年も「沼田川クリーンキャンペーン」は中止と決まった。
この活動は、全国法人会総連合会提唱の「社会貢献活動」に呼応して沼田川の清掃を行うもので、三原市では平成10年から始まり、今年で23回目となるはずであった。主催は公益社団法人 三原法人会、共催は三原市公衆衛生協議会、後援は三原市。
スローガンは “沼田川はみんなの宝 きれいな川を未来に残そう” で、地域に根ざしたこの活動は、毎年テレビでも放映され、約500人もの市民が集う。
昭和一桁生まれの私は、戦時中は小学生。配給制の食糧難の時代を、足繁く沼田川へ食料調達に出かけていた。海苔、あおさ、シジミ、アサリ、アモナ、タニシなどが戦利品である。「ようけとれたね」と頭を撫でて褒めてくれた母の笑顔は今でも忘れられない。ささやかなお手伝いの記憶である。
歩くより他に移動手段のなかった当時、友達と歩く西町から沼田川までの道中は、遠足気分で結構楽しかったが、当時の堤防は大雨や大潮となるとよく決壊をし、男衆は太鼓を打ち鳴らして警備に当たり、堤防を護る神社も建立された。現在は住吉神社として宮沖5丁目町内会奉賛会の皆さんがお守りをされている。
今は堤防も立派に整備され、広島県と、三原市の教育委員会が連名で「三原沼田川トリムコース」の看板を立て啓蒙している。トリムコースとは、健康づくりのために活用してもらうコースのことで、現にマラソンやウォーキングを楽しんでいる人達に出会うと、ほっこりとした幸せを感じ、挨拶も自然にハイトーンとなる。
『 身近にある清らかな流れの沼田川を、いつまでも奇麗な姿に保つため、一日を清掃活動に奉仕しよう❕ 』令和4年の開催を信じての私の意気込みである。
.【会員募集】
興味のある方 是非ご連絡下さい。
只今 会員募集中!
ご連絡をお待ちしております。
「みはら歴史と観光の会」
■電話: 080-6335-9932
事務局;三原宮浦 鈴木(スズキ)迄
< 活 動 報 告 >
5月27日
月報発送作業
(大原、小川、近藤、瀬畑、
西村他の少人数で実施)
5月29日
勉強会「三原浅野氏を学ぶ」(30) …中止
6月07日
6月度理事会
(三役クラスの少人数で開催し、30周年記念誌他の検討)
6月13日
30周年記念式典・記念講演会・総会は全て中止。
総会は書面審査へ
< 編 集 後 記 >
★6月08日、三原城跡公園を訪れた。三原城築城450年に整備された際、お堀の周りの土は固く締められて、雨の日でもどろどろになることはなく、土木技術の進歩に感謝したものである。その地面が今は残念ながらひび割れ、所々剥離して来た
★有志が総出で堀の底まで浚って奇麗な水に入れ替え、養魚業者さんのご協力もあって200匹以上の錦鯉が放たれ、「鯉の城下町」のキャッチフレーズもついた
★その堀にはこの日一面に藻が浮かび、緑色の藻の切れ目から緋色の錦鯉が見え、部分的には美しい光景ではあるが、全体的には汚れた草原かと見間違う程である
★美しい曲線を持つ天主台跡の石垣も雑草で覆われている。天下の名城三原城は三原市の顔である。もう少し市の手入れスクジュールを密にして、年中美しい顔で訪れる人を迎えられるようにして欲しいものである。(健)
この情報は、「みはら歴史と観光の会」により登録されました。