会報「わが町三原」令和2年2月号
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〔 元旦に見えた海霧の誕生 〕
桜山の頂上で初日の出を拝んで、海面に目を落とすと、真綿を薄く引き延ばしたような誕生直後を思わせる可憐な海霧が立ち登っていた。年初めの夜明けを象徴するかのような清々しい姿にしばし見とれた。
2020.01.01
7時30分撮影 鈴木健次(宮浦)
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< 表 紙 >
表題:冬の風物詩 三原の海霧
写真:元旦に見えた海霧の誕生
< 目 次 >
観光について考える
宮沖 桧山 幸三
「小早川隆景と乃美宗勝」(2)
県立広島大学名誉教授
秋山 伸隆
講演録「秀秋の真実に迫る」
小早川秀秋終焉の地 岡山城を訪ねて
沼田東町 津島 敏子
小早川秀秋の岡山城府建設
元岡山市教育委員会
文化財専門監 出宮 徳尚
小早川秀秋に思ふ
沼田東町 伊藤 英治
会よりの便り 事務局
< 行 事 予 定 >
1.勉強会 「三原浅野氏を学ぶ」(21)
(1)時:令和2年02月22日(土)
10時~
12時
場所:港町福岡文庫
(2)内容:三原市史第二巻を中心と した輪講形式
2.春のハイキング予告
…(3月号に詳細掲載して参加希望者を募集します)
(1)時:令和2年04月05日(日) 9:30
場所:糸崎駅集合予定
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(2)方面:
糸崎駅~三原城船入櫓跡間の名所・史跡めぐり
三原一周膝栗毛のコース外の史跡が多く含まれます。
< 歳 時 記 >
観光について考える
宮沖 桧山 幸三
ある新聞記事によると、庶民の間で「楽しむ為の旅」が盛んになったのは、世の中が落ち着いた江戸中期の頃からで、伊勢参りを始めとする社寺への参詣が盛んになり、名所巡りや美酒美食を楽しみだした。
この頃は「旅」「行旅」「遊山」などの言葉が使われ、「観光」という言葉は使われていなかった。
明治6年岩倉具視ら遣米欧使節団が帰国し、その報告書の表紙に「観光」の2文字を記した。
観光の原点は中国の「易経」。国の文物や礼制などをよく観察し役立てる意味である。
維新後、関所が廃止され、鉄道の延伸により人の往来がより盛んになり、明治の後半頃から今のような遊覧旅行を意味するようになったとの事である。
また、孔子の言葉に「近悦遠来」という言葉がある。そこに住んでいる人々が悦び楽しく毎日過ごしている、その様子に引きつけられて遠くから人が訪れてくるという意味である。
これこそが観光の原点であり、地域づくりの基本であると考える。その為には、適度な経済力や教育力が必要であり、文化度も大切であり、他を思いやる心等々、いわゆる優れた民度が求められる。
おもてなしの心が加わって外からみて魅力的な観光地域になり得るものと考える。
いわゆる歴史・伝統・文化の積み重ね、その営みが観光資源であり、まちづくりであると考える。
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三原は昭和40年代後半頃「三原を瀬戸の橋ゲタ都市にするな」と云い出したが「隆景築城450年祭」を終えた今、三原の現状をどう把えるべきか?将来の展望をどのように描いていけばいいのだろうか、つい考えてしまう。
< 活 動 報 告 >
12月22日
桜山植樹苗に施肥
12月26日
月報発送作業
(小川、大原、金森、桑田、
正田哲、瀬畑、高杦、津島、
西村、水野、松竹、村田他)
1月01日
初日の出拝 於 桜山山頂
1月06日
1月度理事会(年間行事予定他)
1月14日
市郷連理事会
< 編 集 後 記 >
★昨年の師走に新高山城跡、今年の元旦早朝に桜山に登った
★前者は、国指定史跡かつ続日本100名城にも選ばれ、市民団体「新高山城跡を守る会」が毎月定期的に整備している。後者は、「NPO法人うきしろ桜山会」が毎月定期的手入れと年1回の桜の苗木植樹を行っている。一昨年の集中豪雨で崩れた登山道を、前者は鉄パイプ製柵で、後者は一部コンクリートで補強補修してあった
★両者に共通しているのは、史跡維持に対する会員の熱意の大きさであり敬服に値する。お陰で安全に登山ができた
★それにつけても三原城天主台跡の石垣は、美的にも耐久性でも鉄パイプ製柵や部分的コンクリートより遥かに優っている。戦国から江戸時代頃の石工技術の高さや財力の大きさには、あらためて驚嘆せざるを得ない。頑張れ令和の三原!頑張れ令和の日本! (健)
この情報は、「みはら歴史と観光の会」により登録されました。