会報「わが町三原」令和元年12月号
詳細
.
[ 椋浦金毘羅常夜灯前にて ]
椋の里ゆうあいランド交流館にて、地元のボランティアガイドさんから、椋浦の歴史について説明を受け、この常夜灯前から椋浦史跡巡りがスタートした。文化2(1805)年尾道石工山根屋源四郎尚政の作で、波返しのあるのが特徴。栄華を極めた廻船衆の寄進とのこと。
令和元年11月03日
因島文化財協会の会員さん撮影
.
< 表 紙 >
表題:因島の史跡巡り
写真:椋浦金毘羅常夜灯前にて
< 目 次 >
毛利家・安芸の吉田までの116年
市川市 下西 勝彦
三原浅野氏入城四百年記念行事
「三原城跡を歩こう」を終えて (1)
事務局
令和元年春のハイキングコースにあった思い出(2)
沼田東町 高杦 勉
会よりの便り 事務局
< 行 事 予 定 >
1.勉強会…
三原浅野氏を学ぶ
12月は休会とします
2.令和2年 初日の出拝
…(NPO法人浮城桜山会と共同)
参加者募集!!
R2年1月1日7:20頃 桜山頂上にて初日の出が拝めます。
初日に向かって、気持ちも新たに、明るく乾杯しましょう!
*申込み及び会費不要
ご自由にお集まりください。
■蔵書と寄贈文献のご紹介■
(港町福岡文庫保管)
以下の県史協機関誌は在庫に余裕があります
第37号 郷原大会(郷原岩山城の歴史、広水力発電所設立秘話など)
第36号 竹原大会(塩のまち竹原、H30豪雨災害の記録など)
第35号 三原大会(小早川隆景と瀬戸内水軍、三原市の紹介など)
.
.
< 歳 時 記 >
毛利家・安芸の吉田までの116年
市川市 小西 勝彦
文化の日、私は思い立って、厚木市の「三島神社」を尋ねました。ここ「森荘」(もりのしょう)は、毛利家発祥の地、三島神社は毛利家の旧居跡と聞いていたからです。
毛利家の直接の先祖は、皆さん良くご存じのように、大江広元です。広元は、平安朝末期、公家に見切りを付け、新しい時代をと、源頼朝を盛り立て、情報を送り、鎌倉幕府成立ののち、その4男・季光が「森荘」を貰ったのです。
越後の国、柏崎の「佐橋荘」、安芸の国の「吉田荘」をも受領しました。
1220年ころの事です。季光は「毛利」を名乗りました。ところが、三島神社の碑を読んで、驚きました。
季光は、わずか30年で、毛利を奪われ、越後へ移住していました。
3代将軍・実朝暗殺ののち北条と三浦が争った宝治合戦で、三浦に味方し、毛利の地を奪われ、越後へ転居させられ、わずか30年の「毛利」住まいでした。
その越後で100年後、鎌倉幕府の末期、醍醐天皇の巻き返しの時、毛利氏は宮側に味方し、今度は、佐橋荘と吉田荘とを奪われました。
隠居していた毛利時親は、折からの南北朝の争いに足利尊氏に味方し、ひ孫の元春に吉田荘を復活させ、移住させました。
やっと吉田毛利の誕生です。1336年のことでした。
ここから元就まで、約200年。小早川隆景は、広元の14代の末孫です。
うれしいことに、厚木市には「毛利台小学校」が、しっかり残っていました。丹沢山系の東端の台地です。
南に15キロ、相模灘が見えます。東30キロ先に横浜港、東京湾が遠望できます。
.
【H31.01.01 の初日の出】
■写真を「クリック」すると説明板が(拡大)して見えます。(写真上)
この地「毛利庄」時代から明治まで650年の変遷を、小学校通学路の、トウカエデ並木のみごとなオレンジ紅葉の下で、静かに振り返った、半日でした。
< 活 動 報 告 >
10月25日
月報発送作業
(小川、金森、小森、津島、近藤、正田哲、瀬畑、高杦、西村、水野、松竹、村田、森明他)
10月27日
「三原城跡を歩こう」…52名参加
11月03日
レキカン秋のバス研修旅行
…34名参加
11月04日
11月度理事会(秋の研修旅行、三原浅野氏入城四百年記念行事他)
11月09日
県史協郷原大会 …7名参加
< 編 集 後 記 >
★11月03日に実施されたレキカン秋のバス研修旅行「因島の史跡巡り」は、担当幹事が文献や現地の下調べを綿密に行い、当日は現地のボランティアガイドさんが丁寧に説明するという行き届いた運営で参加者にも好評であった
★ところで、コースの中に因島水軍城と本因坊秀策囲碁記念館があった。僅かな入場料で見事に運営されている。尾道市には、瀬戸田に平山郁夫美術館もある。このたびの駅前再開発でみはら歴史館が閉鎖された三原市民にとって、羨ましい限りである。この両市の違いは何なのだろうか?(健)
この情報は、「みはら歴史と観光の会」により登録されました。