会報「わが町三原令和2年8月号
公開日:2020年08月05日 最終更新日:2023年06月30日
詳細
〔 旧駅前広場に完成した図書館や
ホテル等が建ち並ぶキオラスクエア 〕
閉店した天満屋の建物が撤去された平成20年以来、駅前広場として三原やっさ祭りのメイン会場等で親しまれてきたエリアであったが、令和2年7月から、キオラスクエアという名称に生まれ変わった。
このエリアの南端には、かつて、三原城の二番櫓・三番櫓があり北端には本丸の御本門があった辺りである。令和の時代、新しい図書館やホテル、保育園、スーパー、駐車場等が建ち並び、三原駅前の賑わい創出の拠点となることが期待されている。
2020.7.08 撮影 鈴木健次(宮浦)
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< 表 紙 >
表題:三原駅前の新しい顔
写真:旧駅前広場に完成した図書館やホテル等が建ち並ぶキオラスクエア
< 目 次 >
ヤミ市
糸崎 大谷 和弘
日本の牛と馬、交通の歴史(3)
中之町 三好 邦範
消えゆく三原の近代化遺産(1)
沼田東町 西村 雅幸
神明当屋帖 その一 より (2)
茅ヶ崎市 定森 總治
会よりの便り 事務局
< 行 事 予 定 >
1.勉強会 「三原浅野氏を学ぶ」(24)
(1)日時・場所:
令和2年8月29日(土)
港町福岡文庫
(2)三密回避策として、以下のA、B二班で50分づつ実施します。
10:00~10:50 A班
11:00~11:50 B班
マスク着用にご協力願います。
2.県史協代表者会議 …
上田会長・正田哲・鈴木 参加予定
日時・場所:
7月21日(火) 14:00~
於 東広島市豊栄町乃美 地域センター
3.秋のバス研修旅行…
諸般の事情により、中止と
します。
日時・場所:
10月25日(日)
鬼ノ城・岡山城方面
4.市郷連現地研修会 …
今年度担当の沼田文化研究会は、下記要領で検討中であったが諸般の事情により、1年間延期となった。
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日時・場所:
11月15日(日)
本郷生涯学習センター →
東禅寺方面
*蔵書と寄贈文献のご紹介*
(港町福岡文庫保管)
レキカン会員の三好邦範様より、以下の書籍の寄贈がありました。
寄贈ありがとうございました。
1.「頼朝の天下草創」…
講談社 山本幸司著
2.「体系・日本歴史」…
日本評論社 永原慶二著
3.「蒙古襲来」…
小学館 網野善彦著
4.「私の日本地図6」…
同友館 宮本常一著
5.「大名の旅」…
八坂書房 宮本常一著
6.「元禄御畳奉行の日記」…
中央公論社 神坂次郎著
7.「産業史 Ⅲ」…
山川出版社 古島俊雄著
8.「紫禁城皇族写真選」…
大衛出版社 菅泰正著
9.「鎌倉時代の書」…
至文堂 木下政雄編集
10.「詳説日本史史料集」…
山川出版社 笹山晴生ほか3名著
< 歳 時 記 >
ヤミ市
糸崎 大谷 和弘
先日、久し振りに広島を訪れた。再開発の進む駅前に2棟のタワーマンションが聳え、戦後の駅前を知る者にとっては驚異であった。
75年前の8月6日一発の原爆により広島は壊滅した。75年は草木も生えぬといわれた焼け跡に雑草の如く芽生えたのがヤミ市であった。
焼け跡に数百軒も軒を並べたバラックも、始めは露天で戸板の上に物を並べて闇の食料、軍需物資、横流し物資を売ったという。随分高かったが生きんがために市民はヤミ市を利用した。戦時統制下ではすべてのものが配給で、主食も遅配や欠配で、戦後に引揚者や復員兵も増え、多くの餓死者がでるかと恐れられた。このヤミ市が市民生活に必要不可欠な存在となり復興を助けた。
戦火に遭わなかった三原、尾道でも物資不足は同じでヤミ市が強制疎開の空き地にできた。駅前や帝人通り入り口等にあったと記憶する。
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【楔跡の残る石】
■この度出土した、二番櫓と三番櫓を結ぶ石垣の一部と思われる楔跡の残る石…新図書館南側植え込みの中
不法建築での闇物資の販売であったが行政や警察も黙認、放任の状態であった。無秩序のように見えたが、それなりに土地の顔役が取り仕切っていたようで、三原でも東条海山という人がおり、ヤミ市の入り口に「海山マーケット」の看板があったのを思い出す。
5,6年もすると統制も解除され、自由経済下ではヤミ市の存在価値が薄れ、「公認市場」と形を変えて戦後復興の原動力となった。広島のI大手スーパーの創業者もヤミ市の戸板で干し柿を売ったのが商売の初めだったそうだ。その頃苦労された方々が、後の高度成長期の経済界を支えられたのではないだろうか。
平和の続く現在、ヤミ市の存在も忘れられている。時には必死で生き抜いた悪夢のような戦後の混乱期を思い出すことも必要ではなかろうか。
< 活 動 報 告 >
6月27日
月報発送作業…
全点郵送とした
7月06日
7月度理事会(今後のレキカン活動について)
< 編 集 後 記 >
★7月23日にオープンした新図書館の南側植え込みに、庭石が数個据えられている。一見普通の石であるが、実はこの石群は、今回の工事で出土したもので、矢跡の残る石も含まれていたことから三原城南端の二番櫓と三番櫓を結ぶ石垣の一部が含まれている可能性が高いという
★その場合、地下に埋もれていた石が400年以上経って地上に姿を現したことになる
★三原駅前の賑わい創出の拠点を目指すキオラスクエアにとって、歴史的な足場を固める貴重な石群の存在となることであろう。(健)
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