会報「わが町三原」令和2年7月号
公開日:2020年07月08日 最終更新日:2023年06月30日
詳細
〔神輿の出番をじっと待つ籠恕神社…
東町〕
旭町の氏子さんに守られている籠恕神社(くまのじんじゃ)には、二基の神輿が保存されている。権現さん(伊邪那美命)用と住吉さん(住吉三柱命)用で、住吉さん用は小型で子供神輿である。45度傾けて神輿を廻すという全国的にも珍しい特徴があるが、町を回るに必要な20~50人の担ぎ手が集まらず、近年は神輿庫(写真の右手建物)と拝殿(写真の中央建物)でじっと出番を待ったままというのは、残念である。
2020.6.09撮影 鈴木健次(宮浦)
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〔権現さん用神輿〕
< 表 紙 >
表題:勇壮な神輿廻しを待つ
写真:神輿の出番をじっと待つ籠恕神社…東町
< 目 次 >
「籠恕神社」の名付け親は?
宮浦 鈴木 健次
令和2年度総会(書面決議方式)報告 事務局
日本の牛と馬、交通の歴史(2)
中之町 三好 邦範
神明当屋帖 その一 より (1)
茅ヶ崎市 定森 總治
会よりの便り 事務局
< 行 事 予 定 >
1.勉強会…
三原浅野氏を学ぶ(23)
(1)日時・場所:
令和2年7月25日(土)
港町福岡文庫
三密回避策として、以下のA、B二班で50分づつ実施します。
10:00~10:50 A班
11:00~11:50 B班
マスク着用にご協力願います。
2.県史協代表者会議 …
上田会長・正田哲・鈴木
参加予定
(1)日時・場所:
令和2年7月21日(火)
14:00~
東広島市豊栄乃美地域センター
◆◆ おしらせ ◆◆
1.「FMみはら」に出演依頼
6月02日(火)から毎月第1火曜日18:05~8分間
三原の歴史について語って欲しいとの依頼があり開始しました。
試行錯誤で「三原の歴史あれこれ」的に実施の予定ですが、ご指摘・感想・アドバイス等がありましたら、事務局宛お寄せください。
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< 歳 時 記 >
籠恕神社の名付け親は?
宮浦 鈴木 健次
三原名物神明さんで日本一の大ダルマが座る場所の山手、長い石段を登ったところに、くまの神社がある。
この度の調査で、漢字では籠恕神社と書いてくまのじんじゃと読むのが正しいことを確信したので報告したい。
この神社は、広島県神社誌に「元和5(1619)年紀伊より浅野忠吉公が三原城主として入府された時、その水手等が熊野新宮速玉大社の御分霊を勧請し、ここに祀った。慶安4(1651)年の棟札を蔵す」と記載されている由緒正しい神社である。
但し、その神社誌では籠怒神社の漢字で(くまの)とのルビ付きである。
疑問点として、神社の拝殿内外には、籠怒と籠恕の文字が混在している。
三原市歴史的建造物調査研究会の報告(2015年)によれば、「芸藩通志」や「三原志稿」を始め九種類の文献や絵図に、権現、権現社、十二所権現社、熊野権現社、熊野十二所権現社等の記述はあるが、籠恕神社との記述は見当たらない。
旭町の氏子さんも、籠恕神社との名称の由来はご存知なかったが、この神社の宮司も兼ねている糸碕神社に手紙を出して伺ったところ、親切なご対応を受け、「神社名はくまのじんじゃで、漢字は昭和21年から糸碕神社に伝わる4種類の書類には、全て『籠恕神社』と記載されている」としてその写しをメールで送信してくださった。
また、「法人局の台帳で確認したら…」とのアドバイスもいただいた。これが、問題解決の大きな力となった。
取り寄せた法人台帳によれば、昭和27年の縦書き式台帳には手書きで籠恕神社と明記されていた。ところが、昭和43年に横書きにフォームが変更され活字になった。その書き換え台帳の活字が「籠怒神社」と誤記されている。 その後、台帳がコンピュータデータに変更されたが、平成19年5月に訂正されるまで、法人台帳上では籠怒神社だったので、広島県神社誌(平成6年発行)でも籠怒神社で(くまの)とルビをふることになったと思われる。
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〔住吉さん用神輿〕
(子供神輿)
もう一つの疑問は、くまのの漢字に何故籠恕という漢字を使ったかであるが、糸碕神社の宮司さんはご存知なく、速玉大社の禰宜さんも、調査してみるとのご返事ながら、今のところ回答なしである。
読者の皆様でご存知あれば、ご教示願いたい
< 活 動 報 告 >
5月27日
月報発送作業…
全点郵送とした
5月25日
レキカン総会書面表決締切日
5月25日
市郷連総会書面表決締切日
< 編 集 後 記 >
★東町の籠恕神社(くまのじんじゃ)について、調べているうちに色々感じたことがある
★氏子さんは旭町の住民が殆どであるが、かつて神社近辺の東町住民で、毎朝欠かさずお参りし、手入れもされていた人がいたという
★この神社の真下に隣接して不動明王を祀る祠があり、こちらは2.5km以上離れた中之町から週に2~3日通うという80歳前後の女性がお世話している。20代で母親が世話しているこちらの祠を訪ねたのがきっかけで、その後、祠の世話人は数人代わったが、数十年前からご本人が担当するようになった。不動明王は御自身や知人の怪我治癒に医者も驚く程のご利益があったという。女性は、厨子に収めた不動明王像や、聖徳太子像に傷みがあったので、京都の専門家で自費修理した。扉を開けて拝ませてもらったら、ピカピカであった。境内も隅々まで掃除が行き届いている
★一方、籠恕神社は2人の宮総代さんが頑張っておられるが、お二人共80代で高い石段の上にあるこの神社の世話は年々難しくなっているという
★文化財の保護・維持の為には、関係者の厚い熱意が必要であると共に、世代交代を如何にスムーズに行うかが大きな課題であることを改めて感じさせられた。(健)
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