会報「わが町三原」令和元年11月号
公開日:2019年11月05日 最終更新日:2023年06月30日
詳細
〔 複製された酉門前の記念写真 〕
三原城本丸の酉の方向(西方)にあり、西築出の北側入口にあった酉門が複製された経緯と年代は不詳であるが、飾られた提灯には三原浅野氏の杵の家紋と、浅野入城三百年と墨書されている。大正9(1920)年に故あって1年遅れで催された浅野忠吉入城300年祭の前後に複製されたものと思われる。百年前の住民の三原城を慕う熱意が形になった例の一つであろう。
港町福岡文庫蔵古写真集より
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< 表 紙 >
表題:百年前の熱意に感動
写真:
複製された酉門前の記念写真
< 目 次 >
語り継ごう! 三原の戦跡
広島 松田 治三
三原浅野氏の支配 (完結編)
三原市文化財協会会長
橋本 敬一
三原における「安政南海地震」について
茅ヶ崎市 定森 總治
令和元年春のハイキングコースにあった思い出(1)
沼田東町 高杦 勉
会よりの便り 事務局
< 行 事 予 定 >
1.勉強会 「三原浅野氏を学ぶ」(19)
(1)日時:令和元年11月30日(土)
10時~12時
場所:港町福岡文庫
2.レキカン秋のバス研修旅行
…募集締切!
(1)日時 令和元年11月03日(日・祝) 小雨決行
集合 8:45 三原港湾ビル
帰着 18:00頃 隆景広場
(2)見学史跡
因島村上水軍および蒲刈小早川氏関連等の史跡めぐり
(3)参加費
4,500円
但し弁当、飲み物は各自持参とし、村上水軍城の見学希望者は、別途310円をご用意ください。
(4)服装
平地の史跡巡りのできる服装と靴とし、雨具も適宜。
3.県史協 郷原大会…募集締切!
(1)日時: 令和元年11月09日(土)
場所:
呉市郷原まちづくりセンター
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(2)受付時間: 9:00~9:30
午前:総会と講演会
「黒瀬要害の歴史」他
午後:臨地研修
二級峡、岩山城跡他
< 歳 時 記 >
語り継ごう! 三原の戦跡
広島 松田 治三
来年は終戦・被爆75年になる。いま被爆を体験する人も少なくなった。こうしたなか広島では原爆の惨禍を語り継ごうと言う声が高まりを増してきている。地元中国新聞は先頭に立ち報道を強めている。
原爆の直接被害は被っていない三原だが、戦争にまつわる遺跡、文書の数々は残っている。遺跡は佐木島・小佐木島にガソリンなど燃料を隠した防空壕などが残る。 桜山山頂には敵機襲来に備え木造の監視搭屋があり青年学校生らが交代で寝泊まりしていた。
また三原に駐屯していた暁部隊に対し広島本隊から至急電として寄せられた原爆被害の救援要請書2通(現物コピー)が残っている。
芸陽日日新聞社は前参議院議員溝手顕正氏の手を煩わし入手困難を極めるなか防衛庁防衛研究所が保存する原本の写しを手にして本紙でトップ報道した。
芸日紙のあと中国新聞は暁部隊の広島本隊が発信した通達書を入手し大スクープとして1面トップで報道した。これらは当時を語る貴重な史料だ。
帝人三原工場男子寮舎は暁部隊が駐屯、終戦間際には呉の海軍もわずかながら駐屯した。
西宮町三原八幡宮の東に位置した臨時教員養成所の廃校校舎も宿舎兼訓練所として使われ、軍隊の手で防空壕も掘られていた。
三原駅前にあった旧専売公社の一部に忠海の憲兵隊が駐屯し、サイドカー付のオートバイが置かれにらみを利かせていた。
小泉町泰蔵寺には、呉からの疎開学童が起居を共にしていたが、当時の学童が苦しい生活を記した思い出の作文が残っている。
このほかにも探せば戦争に係わる数々の資料は何処かにひっそり眠っているはず。
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【 提灯 】
三原浅野氏「餅の内に杵」の家紋
ここらあたりで三原戦跡資料をまとめてなんらかの形で残せないものだろうか。
< 活 動 報 告 >
9月26日
月報発送作業
(小川、金森、小森、正田哲、
瀬畑、高杦、西村、水野、松竹、
村田、森明他)
9月29日
桜山定期手入れ…4人参加
10月07日
10月度理事会(秋の研修旅行、三原浅野氏入城400年記念行事他)
< 編 集 後 記 >
★10月12日~27日の会期で三原浅野氏入城400年展が開催された。三原市と三原市教育委員会の主催であった
★岡岷山作画の三原城とその周辺を描いた妙正寺蔵「絹本著色登覧画図」をはじめ糸碕神社や三原市中央図書館、三原市歴史民俗資料館蔵等の三原浅野氏ゆかりの品々の展示が主体であるが、狭いスペースながら100年前に催された「浅野忠吉公三原入城300年記念祭」を報じた芸備日日新聞の記事と写真が展示されていた
★広島から広島城主12代を務めた浅野長勲侯爵等の列席の式典が三原浅野氏の菩提寺妙正寺で催された後、余興は時代行列やヤッサ踊り、三原女子師範学校における絵画・習字・手芸・生花展、各町内の作り物成等々、更に花火打ち上げに加えて、広島県山林大会も開催され、街中大賑わいであったという。当時の熱気に感心するばかりである。 (健)
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