みはら市民協働サイト つなごうねっと椋梨城址保存会

団体紹介

 画像は当地出身の画家四国五郎氏が椋梨城址保存会のために、「椋梨氏城夢景」と題して城跡を元に戦国時代の様子を書かれたものです。原画は畳1枚よりも大きいものでその一部を掲載したものです。
 保存会では、椋梨城としておりますが芸藩通史においては、「堀城」と記されていると聞いていますが、大和町誌では椋梨城とありますので保存会においては、「椋梨城」としている。
 椋梨氏は、源頼朝に重用された土肥実平4代の孫、小早川秀平に始まりその子国平の代に椋梨に入りその時椋梨氏を名のった。12代後の景良のとき毛利氏に従い萩に移るまでこの城を中心に繁栄し、小田、和木、上山(宇山)、大草など各氏を分出した。また椋梨氏は毛利輝元、小早川隆景に重用され地方の豪族として毛利氏を助けた。近くに菩提寺の学応寺跡や、宝篋印塔、五輪塔がある。(大和町誌より抜粋)
 城跡は、孟宗竹の竹林で放置され誰も城跡として見るものはいなかった。平成元年この地域の圃場整備事業(田の区画整理)が始まり、城跡周辺は文化財で取り残されることとなったため、環境的に大変悪いので、周辺20戸で保存会を結成し整備、活用(イベント等)することとし現在に到っている。

Menu