みはら歴史と観光の会
                               

会報「わが町三原7月号」

   三原の老舗でお宝拝見

 住吉物語の屏風絵 一対 … 江戸中期の作品らしい

蠑‖湿ε后聞祖)所蔵 ; 題材の住吉物語は、平安時代に成立し、鎌倉時代に改作されたという継子物語の代表作  …本文3頁に詳細

目次
P1 表 紙…表題: 三原の老舗のお宝拝見
写真: 住吉物語の屏風絵
2 目次 / 六本山の愛称のいわれと埋蔵金 広島市 松田 治三
3〜4 まるで源氏物語のような屏風絵     宮浦 鈴木 健次
4〜6 小早川隆景と朝鮮出兵 (1)     東町  大本 静人
7〜9 浄瑠璃本「みはら物語」(6)    本町  福岡 幸司
10〜11 角屋と上月氏 (完結編)     西町 上田 茂  糸崎 大谷 和弘
12 会よりの便り 事務局

七月の行事 各地
16日(土)八阪神社(西宮) 祇園祭り
17日(日)久井稲生神社 祇園祭り
23日(土)沼田本郷 夏祭り
30日(土)御調八幡宮 火祭り  19:00〜

行事予告
1.レキカン秋の研修旅行
日時 H23.11.02(水)〜03(祭日)
和歌山県新宮方面(三原浅野氏の旧知行地)
  スケジュール、会費等検討中
2.市郷連現地研修会
  日時 H23.11.05(土)
  久井方面としますが、詳細要領は追って案内します
六本山の愛称のいわれと埋蔵金

         広島市  松田 治三
 生まれ故郷の三原を離れ51年になる。広島に住む私は毎月送られてくる「わが町三原」を楽しみに読んでいる。
 昨年末、帰三した際、鈴木健次事務局長に初めてお会いする機会に恵まれた。昔話をするうちに子どもの頃、わが庭のごとく遊びがてらに登っていた桜山、大畑山(愛称・六本山)の話に入ったところで鈴木事務局長から六本山の愛称のいわれを聞かれた。六本山からの写真撮影経験の多い岡村徳男さんに尋ねてみたものの愛称の出所は分からないと言われたとのこと。六本山のいわれを説明して納得いただいた。話は簡単。山の頂上に6本の松が並んで立っていた。それを見て、いつからとはなく、誰とはなく西町の人から「ろっぽんさん」呼ばれるようになった。中心に大きな松があ
り他の5本を従えるようにそそり立っていた。中心の大木の松は第2次大戦中に軍用材として伐採された。残り5本は終戦間際に全山が、松くい虫の被害にあい伐採された。
 頂上から三原を一望できることから山裾に別荘、住宅の広がる里山だった。記憶では桜山より登山は楽だったように思う。こうしたことからだろうか、人の出入りが多いため山火事も再三あった。「また六本山が火事か…」と、よく耳にした。私は小学校入学の頃、父親に連れられ登ったとき、六本山にまつわる逸話を教えてくれた。廃藩置県のころ三原城にあった財宝(貨幣)を秘かに隠し埋めたという話が伝わっているという旨のことを父親から聞いたのを思い出した。この話の真偽は定かでない。どさくさに紛れ誰か
が言いだした、多分眉つばの話だろうと父親は笑っていた。  先年、六本山の山裾にある我が家の墓に参った時、釜山寺名誉住職、伊達玄仁さんに尋ねたら「登山は無理ですよ。登山道は未整備のままだ」と言われ断念した経緯がある。鈴木さんと六本山のいわれを話すうち、久しぶりに埋蔵お宝金の逸話を思い出した。
行事報告
5月27日 月報発送作業 (柏原、吉原、村田、瀬畑、金森、田邊、越当、桑田他)
6月06日 勝村商店のお宝拝見(宮原・柏原・吉原・瀬畑・金森・松島・田邊・川上・越当・山根他)
6月06日 6月度理事会(総会の反省、秋の研修旅行計画他)
6月16日 桜山登山道整備等の要望促進検討会(大谷、吉原、鈴木)
三原浮城ライオンズクラブ、三原山の会及びレキカン代表者
6月19日 月報発送準備作業(柏原、村田、瀬畑、金森、桑田、山根他)


編集後記★今年は、入梅直後の雨は少なかったが、最近は雨空が続いているのは止むを得ない★雨の合間に見せてもらった蠑‖湿ε垢琳風絵。その部屋には、平安時代の優雅な空気が流れていたような気がした★雨を
心配しながら極楽寺裏の米田山(三原山の会によると、多くの三原人が思い込んでいるそこは象山で、標高277m。本当の米田山はその北東にあり標高367.2mとのこと)に登った。3本ある鉄塔の根元や頂上から見下ろ
す三原の景観には、微妙な違いがあり、比較して眺めを楽しんだ★三原城天主台跡北面に聳える桜山は、三原城の詰め城との見方が有力。ここの登山道整備を市に要請しているが実現には、難題が多そうである。★両方の山の眺望は素晴らしいが、肝心な所で立木等が目ざわりなことが多い。山の容姿を変えることなく、登山者を喜ばす手入れが望まれる。(健)



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