みはら歴史と観光の会
                               

会報わが町三原4月号

三原駅正面入り口の妙正寺登覧画図
 広島藩の絵師 岡 岷山 の筆による。
 原画は、妙正寺保管で、市重要文化財。

目次
P1 表 紙…表題: 妙正寺登覧図の 岡 岷山 考 行事予告
写真: 三原駅正面入り口の妙正寺登覧画図
2 目次 / 岡 岷山 考 須波ハイツ 田邊 達雄
3〜5 浄瑠璃本「みはら物語」(3) 本町 福岡 幸司
6〜7 春のハイキング案内 畑(葉田)竜王山と周辺巡り 須波西 坂井 吉徳
8〜9 角屋と上月氏 (8) 西町 上田 茂  糸崎 大谷 和弘
10〜11 三原英学史考 (4) 須波ハイツ 田邊 達雄
12 会よりの便り 事務局

四月の行事
10日(日)棲真寺まつり
10:00〜 虚無僧行列 12:00〜演芸奉納
10日(日)御調八幡宮春季例祭
11:00〜 祭典 12:00〜餅まき    9:30〜 バザー
13:00〜 演芸奉納「御調八幡宮花踊り」…県無形民俗文化財
10日(日)鉢ケ峰虚空蔵菩薩大祭
9日(土)〜24日(日) 9:00〜17:00 沼田西のエヒメアヤメ一般公開
10日(日) レキカン春のハイキング
「畑(葉田)竜王山と近辺巡り」…詳細は本文と最終頁
  岡岷山 考
須波ハイツ  田邊 達雄  
 三原駅正面入り口に立つとその横に大きな三原登覧画図のレリーフが目に入る。江戸時代後期の広島藩の絵師岡岷山が描いたこの原画は市内の妙正寺に所蔵されている。享和2年(1802)の作で、三原浅野家が奉納したといわれ三原市の重要文化財となっている。しかし、作者岡岷山については意外に解っていることは限られているようである。歳時記にはそぐわないが一部を紹介する。
 岡岷山は享保19年(1734)に今の広島市内に生まれ、号は岷山、苗字は岡(崗)、名を煥(かん)、字は君章、通称を利源太と称した。「没後200年記念岡岷山」 (2006)では「岡家の祖、岡次右衛門尉元安は広島藩主浅野氏がまだ紀伊を統治していた頃、大坂夏の陣軍備えのうち、二番備の加勢組の中に見える」とある。元和5年(1619)に浅野長晟が初代藩主として広島入府の時に随伴し、禄高三百石当時から代々浅野家に仕えた家柄である。岷山は幼少から絵画に長じていたという。藩では徒歩組の絵師で始まり、広島藩御用絵師勝田幽渓(狩野派)に学ぶ一方、時の広島藩第七代藩主浅野重晟に仕える藩士でもあった。宝 暦の大火(1758)の時は藩主重晟の元服の年で、被害のあった縮景園が修復されると重晟は頼春水、梅園太嶺および当時25歳の岷山に縮景園内の名勝に名付けをさせた。その後に岷山が師事した宗紫石は正徳5年(1715)に誕生した江戸の画家で、清国人沈南蘋の南蘋派を江戸で広めて当時の画壇に大きな影響を与えて天明6年(1786)に歿した。岷山は広島藩内各地を歩き絵にした。中でも寛政9年(1797)広島から佐伯郡、山県郡都志見村駒ヶ滝まで訪ねて描いた「都志見往来日記幷諸勝図」は代表作として知られている。先述の記念誌「岡岷山」によると岡家に関する資料は失われていて詳しいことがわかっていないという。
編集後記★東北関東大震災の被災者と犠牲者にお見舞いとお悔やみを申し上げます。未曾有の大惨事となりました★何とか避難した人も、家も畑も仕事場も失って、不便な避難所生活。加えて東日本は、発電所の事故で計画停電を余儀なくされた。周波数の違いで西日本の電力会社からの供給はできないという★西日本も巨大な東海・南海・東南海連動地震等の不安材料を抱えており、三原も津波の影響が懸念されている。地震列島に住む我々としては、今回の事例を教訓に、日頃の備えが欠かせない。(健)

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