みはら歴史と観光の会
                               

会報わが町三原11月号

糸崎之八幡
社左之島々風景之好ハ
楽ける八ツ時分三原江附
  陸行
此ハ藝州之家老浅野
雅楽居城之由 三萬石ト
云事ナリ城と云町と云中々小大名之及處ニ阿らす城之
堀リニ海魚多遊居リ鯉
鮒と類易リ

「塵壷」
安政6年(1859)越後
長岡藩の家老河井
継之助が西方遊学で
記した日記

 今月目次
P1表 紙…表題:三原(旧)一周膝栗毛テキスト補足行事予告写真
2 目次 / 葉煙草再乾燥場跡 中之町 山根 光博
3〜7 「三原(旧)一周膝栗毛」を終えて(最終日コース) 本町 福岡 幸司
8〜11 角屋と上月氏 (3) 西町 上田 茂  糸崎 大谷 和弘
12 会よりの便り事務局
葉煙草再乾燥場跡
 中之町  山根 光博
 平成22年の10月1日、全国一斉に煙草の価格が上がった。愛煙家にとっては苦難の年になりました。
その煙草と関係のある葉煙草再乾燥場跡について話をしましょう。その場所は本郷生涯学習センターの敷地内で、昭和4年3月この地に煙草の再乾燥場が建設されました。豊田郡大崎上島の出身である望月圭介氏が逓信大臣在任中、本郷町の人々の働きかけによって、工場が誘致されました。その頃の一日の賃金が男子80〜90銭で、女子は40銭位であった。農家の人たちが、ここで働ける様になって暮らしも大分楽になったそうです。特に秋から冬春先まで季節労働者として婦人の多くは、この工場に仕事に出るようになりました。
 今では婦人が工場で働く事は珍しくありませんが、当時としては、婦人が工場で働くことは大きな変化であったようです。煙草再乾燥場の敷地面積は25,395屐7物面積は、18,420屬如∈憧チ臍置2基と木造平屋建て倉庫12棟の規模であった。
 葉煙草の再乾燥とは、煙草の生産者が乾燥して公社へ納入した黄色種葉煙草は、糖分の含有量が多く、また吸湿性も強くて水分の含有量が不均一のため、これをそのまま貯蔵しておくと変質や腐敗することがある。これを、再乾燥する必要があり、その方法として乾燥機によって、いったん無水状態まで乾燥さす。その後、均一に水分を与え含水量を11%程度にして、たる詰のうえ約2年間貯蔵すると、熟成して味と香りが出てくる。煙草製造工場へ送られて製品化される。しかし、時代の変遷と共に昭和44年に閉鎖され、跡地を本郷町が買収した。その後、豊田郡本郷町は、三原市に編入された。
編集後記★今春一週間連続で実施された「三原(旧)一周膝栗毛」、唯一の完歩者であった福岡相談役が、執筆中の同膝栗毛テキストの補足版原稿がほぼ完成した★その抜粋を本誌に掲載してきたものは、全体の30%程度であり、いずれ「新三原めぐり増補版」として、同氏の三原文庫から発行予定とのこと。乞うご期待★今月号の表紙に、河井継之助の旅行記「塵壷」を紹介した。この他、築城前の「道ゆきぶり」(今川貞世)、江戸時代の「小春紀行」(蜀山人)、「長崎日記」(川路聖謨)、「筑紫紀行」(菱屋半七)等名士の紀行文には、三原関係の記載があり、レキカン事務局の書棚に保管してある。当時の三原の様子を旅人の目で観察し、文章に残している貴重な資料であり、一読をお薦めしたい。(健)

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