みはら歴史と観光の会
                               

会報「わが町三原」平成28年4月号

〔 くす玉割に参加の来賓 と
      甲冑姿で挨拶の天満市長 〕


 天満市長、築城450年事業推進協議会 勝村会長等4人の甲冑姿をはじめ、市議会議員、文化財協会 橋本会長などの来賓や、張り子だるまを製作した三原小学校の児童等が参加した くす玉割りからプレオープニングセレモニーが始まった。
 やっさ踊りの披露や張り子だるま行列、県警音楽隊の演奏などがあり、駅前は人垣で埋まった。


  H28.2.12 撮影  鈴木健次(宮浦)

< 表 紙 >

表題:築城450年事業プレオープン
写真:くす玉割に参加の来賓と
    甲冑姿で挨拶の天満市長



< 目 次 >

歴史に学ぶ野生生物との共存
         幸崎町 行長 啓三

隆景公の影を慕いて(4)
           本町 福岡 幸司

三原と渡り鳥(2) 
         中之町 三好 邦範

三原(旧)一周膝栗毛に参加して
          (第三コース)
           皆実 桧山 幸三

会よりの便り        事務局



  < 行 事 予 定 >

1.レキカン創立25周年記念行事
   「土肥実平の里
      湯河原町をたずねる」

(1)日程:H28年4月02日〜03日
           (一泊二日)

(2)参加予定者:20人


2.市郷連総会
    … 参加は代議員のみ

(1)日時:H28年5月08日(日)13:30〜
 
(2)場所:三原市中央公民館
        第一講座室


3.創立25周年記念総会と
         記念講演会

(1)日時:H28年6月11日(土)
      14:00〜式典・講演会
      16:40〜総会

(2)場所:三原リージョンプラザ
          文化ホール


(3)講演会
演題 「 隆景 と 秀吉 」
講師 本多博之先生(広大大学院)

(4)総会
27年度の活動報告と28年度の予定

(5)懇親会 同日18:00〜
        於 本町会館
 懇親会の会費は 1,500円(当日キャンセルは、全額キャンセル料徴収)

(6)申し込み締め切り
(3)(4)(5)いずれも6月07日(火)

 講演会は空席があれば、当日参加も可能であるが、資料準備上予約歓迎。


  < 歳 時 記 >

歴史に学ぶ野生生物との共存
現代猪鹿垣(ししがき)考
〜プロローグ〜

     幸崎町 行長 啓三

 年末の新聞に、中国地方5県と兵庫県の中国山地にまたがる69市町村の内、19市町村の計83集落が20年以内に消滅する恐れがあるという記事が掲載された。(内35集落は10年以内、すでにこの10年間で8集落の減少という)

 この集落の減少は、耕作放棄地や空き家の増加、里山の荒廃、一方で鹿や猪、猿等の野生生物の増加を招き、農林作物への被害増加(被害総額は、全国200億円、三原市2,150万円)という深刻な問題を引き起こしている。農林業以外においても、山間部にある霊園、新興住宅地、ゴルフ場や都市周辺の開発に伴う民家の庭、家庭菜園への掘り起こしや食被害、自動車との接触事故や施設への侵入等、人への被害も危惧されるようになった。

 ではなぜこのような状況に至ったのか。わが国は江戸時代の鎖国を終え近代化の道のりを歩み始めた明治時代から戦後の高度成長期頃まで、身近な山林は、燃料や建築資材としての木材利用や畑や水田等の耕作地として活用されていた。

 よって、当時は野生生物と人との「共存」は無く、江戸時代に集落に押し寄せた野生生物は、明治〜戦後高度成長期には、生息場所を失った上に、今よりも多くいた狩猟者による捕獲で、著しく個体数を減らしたものと考えられる。
 しかしその後、禁猟等の保護政策や生息場所としての森林回復、集落の過疎化、狩猟者の減少等により野生生物は個体数を増やし、分布域を取り戻し拡大してきたのである。

 現在、野生生物による被害の増加は、昔から継続している現象ではなく、「今までに人々が体験したことのない軋轢」といえる。かつて江戸時代の先人が、押し寄せる野生生物に対抗するために築いた猪鹿垣(ししがき)は、現代の我々に野生生物との向き合い方を教えてくれる貴重な遺産として改めて捉え直していきたいと思う。




  < 活 動 報 告 >

2月21日
市郷連理事会(上田、鈴木)

2月26日
月報発送作業
(山本、村田、瀬畑、金森、桑田、大原、越当、松竹、森明他)

2月27日
古文書事始め「武家諸法度」(2)他…19名参加

3月07日
3月度理事会
(湯河原訪問研修旅行他)




 < 編 集 後 記 >

★本誌に福岡幸司氏の「隆景公の影を慕いて」を連載中である。
今月号には、隆景公が法常寺で荼毘に付された時の棺の台石の話題がある。

★台石の現存状態を写真撮影に出向いた際、同寺の住職さんから伺った話では「当時は縦棺といって、膝を両腕で抱えて座った姿勢で官に入れることが一般的だった。
 葬儀の終わりに引導を渡す際は、寺の本堂前に備えられた一対の棺石の一方に棺を安置していた」とのこと。石の間隔は広いので、縦官か横官いずれでも、一方
の石だけに乗せたらしい。

★隆景公の棺が縦棺か横棺かは、記録にないが、荼毘に付されたのは今小祠がある場所だったと伝えられているとのこと。(健)

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