三原郷土史木曜会
                             

三原郷土史木曜会 7月現地学習「本郷町船木・用倉地区を訪ねる」

三原郷土史木曜会 7月現地学習「本郷町船木・用倉地区を訪ねる」
今月月の報告は書記吉川さんの本郷町訪問の現地学習感想文ですが、7月に報告されたものを8月・9月と2回に分割して掲載いたします。

船木地区の歴史について 楪先生の話
船木地区は古くから生活と文化とが育まれた土地です。弥生の遺跡で、合口(あわせぐち)甕(かめ)棺(かん)の発見された船木遺跡、又周辺には古墳時代の前方後円墳や円墳などが多数見つかっており、佐用古墳群や清井古墳、養老遺跡などがあります。
平坂の圃場整備に伴う調査の時、縄文・弥生や古墳期の土器などが多数発掘されました。平坂の北の姥ヶ原には「虫送り」という中世からの伝統的な夏の行事で、病虫害から農作物を守るため松明と太鼓などで虫をおびき出し、退散させる行事があります。また、中筋の中の谷の山間部に船木小学校を建設する話がありましたが、遺跡の調査をしたところ、中の谷古墳群や中の谷古墳群が発掘された。その後、小学校は東の田んぼの広がる場所へ建設されました。また沼田川を挟んで西側には金売(かねうり)という場所があり、古墳群や弥生の遺跡があり陣(じん)開(かい)遺跡(いせき)は発掘調査報告書がまとめてあります。

法華塔(一字一石塔)
今から何百年も前の事、舟木では水害のために苦しみ、この際、切れた堤防に人柱を立てようとしていたところを、通りかかった一人のお坊さんが「男竹を植えてその竹の根で堤防を強くしなさい。そして河原の玉石に法華経というお経を一文字ずつ書いて埋めて堤防を直し、その上に塔を立てて供養しなさい。そうすれば堤防は切れることは無い。」と言われた。村人が竹を植えて一文字一石を埋め込んだ上に法華塔を建てると、その後その堤防は切れることは無かったという。船木地区の沼田川堤防の斜面には今でも竹の群落が続くが、地区の住民にそうした伝説が生きているのかもしれません。
法華塔は今でも舟木から河内町への県道わきに残されていますが、幾度の堤防のかさ上げ改修工事を経ているので、かと別の低い場所であったと言われている。この塔の下部は倉庫になっておりそこには丸い川原石にお経の一文字が墨書された現物が何点か収納されているという。このたびその倉庫の扉の鍵の所在が不明で内部を確認することができなかったのは残念なことでした。
楪先生によると三次の馬洗川にも一文字一石塔があるそうで、こうした民間信仰についても調べたものがあれば見てみたいと思いました。
岡井の板碑
菅霹靂神社から2キロ余り西に行ったところに岡井山という小高い山があり中世の山城の跡があるとのことです。この山の麓に板碑が三基あるという情報をもとに竹藪の中に入って行きました。山すその切り立った斜面の下を取り巻くように、この地を治めたであろう岡井一族とみられる墓碑が並んでいる。といっても、今では遺棄されたかのように倒れ散らばって枯葉に埋もれ、わずかに板碑のあるあたりが墓碑の姿をとどめています。この三基の板碑は一般の板碑と違って円柱を縦に半分に割った感じで、前面の頂部は板碑の基本的な形の山形をしており、2段の切り込みや梵字などがかすかに見止めることができるが、はっきりと読み取ることはできませんでした。三原市内には万福寺や万性寺などいくつか現存しています。山上にあるという城跡についても現地調査をすれば何らかの確認が取れるのではと思います。
菅霹靂神社(すがへきれき神社)
初めに、私たちは本郷町船木の平坂地区菅にある菅霹靂神社を見学しました。「日本書紀」第21巻に推古天皇26年(618)聖徳太子によって派遣された河部臣(かわべのおみ)が安芸国で船の材料の木を見つけた。それがこの神社にあった「霹靂の木」でした。住民が恐れて、「この木を切ると崇りがあります。」といったのですが、「天皇の命令じゃ。」と言って、切り始めると、大きな雷鳴が鳴って激しい雨が稲光とともに降り注いだ。河辺臣は、剣を天に突き上げて雷神と戦い、「わが命を奪うなら奪え!」と言って、ついには大木を切り倒した。雷神は一匹の魚となって落ちてきたと言い伝えられている。造られた船は遣唐使船として活躍しました。
住民はこの神を祀り、「船材敏神社(ふなきと神社)」と名付け、豊穣をもたらす神として信仰を集めてきた。明治45年の神社合併布令により中ノ谷の香久山太神宮と合祀され、新たに霹靂神社として1キロ余り西の地に祀られた。しかし菅地区の住民は船材敏神社の存続を求め、改めて分祀して「菅霹靂神社」として祀ることになった。したがって、舟木の地には「霹靂神社」と「菅霹靂神社」の二つのお宮が現存しているということです。祭神は3神あるがその内の天之水分神(あめのみずまりのかみ)には豊かな農業用水への願いが込められているようです。
菅霹靂神社には船の形の手水鉢がありその形は古代の外洋船の形を表わしているそうです。また、水を溜めるくりぬきの部分はちょうど雷神が魚となって降ってきたとの言い伝えのように魚の形をしているのがユーモラスでかわいいと感じました。昔の村人の遊び心でしょうか?拝殿の梁には船の面舵や安全の祈願にお供えされた模型の船が供えられておりこの神社が船祈の地であったことをも示しています。

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