みはら歴史と観光の会
                               

会報「わが町三原」平成27年8月号

〔瀬戸内三原 
   築城450年事業推進協議会事務所〕

 去る6月末 瀬戸内三原 築城450年事業推進協議会の事務所が、市役所5階から駅前のサン・シープラザ1階に移転し、本格的活動が開始された。

    H27.7.13 撮影  鈴木健次(宮浦)

< 表 紙 >
表題: 瀬戸内三原
    築城450年事業本格始動

写真: 瀬戸内三原
   築城450年事業協議会事務所

< 目 次 >
異国船騒ぎ
        須波ハイツ 田邊達雄

広島県三原市磨崖和霊石地蔵 (6)
      三原市歴史民俗資料館
                福井万千

若丸山城の謎 (完結編)
              糸崎 大谷和弘

「こむぎの花」
とくじゅまる物語 10
            市川市 下西勝彦

会よりの便り          事務局

< 行 事 予 定 >
1.勉強会

「小早川隆景公の古文書を読む」(5)

(1)時:H27年8月22日(土)
          10時〜12時
  場所:サン・シープラザ2F

(2)参加申し込み:
 新規参加希望者は、事務局鈴木まで、お名前をご連絡ください。

< 歳 時 記 >
異国船騒ぎ
        須波ハイツ 田邊達雄

 嘉永6(1853)年にペリーが率いる、いわゆる黒船が浦賀に現れて江戸中が大騒ぎになった。


 それ以後アメリカ、イギリス、オランダ、ロシアなどの異国船が頻繁に日本各地の沿岸に現れて国内の緊張が一段と高まってきたことは言うまでもない。

 わが三原も安政6(1859)年3月18日に前触れもなく異国船一隻が須波村の沖に現れて、犬吠の浦に乗組員が上陸したという知らせで三原城内も江戸に劣らず不安に駆られて大騒ぎになった(「芸藩志」第12、14巻)。

 すわ一大事とばかりに大砲などを構えて戦闘体勢に入る一方、儒学者宇都宮龍山はじめ長谷川桜南、岡田聿山など当時の三原を代表する有識者たちが訪船して情況を確かめるが、言葉が通じない。

 わずかに乗組員との身振りを交えた片言の話から、船はオランダ船で、長崎や下関など地名が聞き取れて、彼らがこれから江戸へ向かうことや、彼らはこの辺りの水深を測量していたことがわかった。

 その後、船は何事もなかったかのように翌19日に江戸方面に向かった。
 更に、万延元(1860)年5月19日にはイギリス船1隻が三原湾に1泊したという記録がある。

 このとき藩は幕府に報告したが、異国船はこの辺りを頻繁に通過するので今後はいちいち報告するに及ばず、として記録を残さないことになったとされる。

 しかしながらこれら二つの出来事が広島藩、特に三原浅野家中へ与えた影響は大きく、これまで本藩の広島にいた浅野忠英公は三原で陣頭指揮をとることとなった。

 それ以後の三原浅野は東野村にお台場を築き(1862)、東野村青木と三原城馬の口に砲台を設置(1863)、須波村に遠望所を設けるなど警備体制を強固にしていった。

 こうして、時代はいよいよ風雲告げる幕末へ進み、そして近代日本の黎明期を迎えるのであった。

< 活 動 報 告 >
6月26日 月報発送作業
(瀬畑、金森、桑田、松竹、森明、
             正田哲他)
6月27日 「小早川隆景公の古文書を読む」(3)    …19名参加
6月28日 NPO法人うきしろ桜山会
定期手入れ日
7月 1日 瀬戸内三原
築城450年事業推進協議会
      歴史・文化部会(鈴木)
7月 9日 県史協 臨時理事会
             (上田、鈴木)

< 編 集 後 記 >
★「瀬戸内三原 築城450年事業」は、市外からの関心も高まりつつある。

★同事業の推進協議会に20以上の団体で構成された「歴史・文化部会」がある。
 この部会メンバーの一員であるレキカンから「小早川隆景公も愛した能の公演」、「“三原城450年のあゆみ”と題した記念誌の発行」、「三原城の詰城 桜山城跡の整備」の3件を提案した。

★他の団体からも多数提案があり、今後内容の詳細検討に入る。
 レキカンの案件については、テーマ毎に推進担当者を選任して具体的内容、スケジュール、必要経費等の検討に掛るので、関心のある会員からのご意見・ご指摘ならびにご協力をお願いしたい。(健)


前のページへ戻る
みはら市民協働サイト つなごうねっと