三原郷土史木曜会
                             

三原郷土史木曜会 九月現地学習 「世羅町内の史跡・文化財の学習」

今号は代表土森修さんの報告書を掲載いたします。
報告書は仝友の石畳中村土居屋敷跡5半融➃松本土居屋敷跡テ実出土地世羅郷土民俗資料館Я泳〇┸静賃2号古墳万福寺跡➉康徳寺康徳寺古墳太田庄歴史館

初秋の快晴に恵まれた早朝 先生、会員12名は車3台に分乗し中央公民館を出発した。
世羅町役場前で、現地案内をいただく蔵橋純海夫様(世羅町文化財保護委員長)と合流し学習を開始しました。
(写真 県重文「廃万福寺塔婆」)

 
   

5.銅鐸出土地 町史跡(大字黒川下陰地)
昭和四二年(1967)農道工事の際に大きな石の下から発見された。高さは、28僂侶矯(けさ)襷(だすき)文(もん)が施されている。片面の3分の1が大きく欠けているが、埋納時にすでに欠けていたものと考えられる。県内で出土した銅鐸は2例しかない。(実物は広県立歴史民俗資料館)。

6.世羅郷土民俗資料館(大字重永)
世羅町内(世羅西町を除く)の歴史・民俗の資料が年代別に幅広く展示されていた。玄関入口には、神田第2号古墳の石扉の実物が展示されている。林学芸員から詳しく説明を受けました。昼食場所も提供頂きお世話になりました。
(写真 町史跡 「銅鐸出土地」
3.吉 祥寺 臨済宗(大字上津田)
ご本尊は観音菩薩坐像である。境内には仏堂・薬師堂があり、本堂前には、大型の五輪塔(町重文)が安置されている。吉祥寺の古文書によると、奈良興福寺の吉祥院に安置されていた観音像を治承四年(1180)源平の争乱の戦火を避けるため円覚和尚が世羅郡長田村篠村に逃れて、観音像を本尊として創建されたのが始まりだと住職から説明を受けました。

4.松本土居屋敷跡(大字神津田)
上津田の豪農であった土居家(松本姓)の屋敷であるが、創建は中世にさかのぼるものと思われる。当時の建物はないが、前面及び東西にかけて水郷がめぐり、背後には空濠及び土塁がめぐらされている。
(写真 「吉祥寺の五輪塔」
1.光友の石畳 町史跡(大字下津田)
大永二年(1522)に津田明神山城主の家臣、中村宗太郎光重により構築されたと伝えられる。この道は三次往還の一部で坂道の難所であった。現存する石畳は、幅1.5〜1.7m、延長約120mである。石材は近くの山から採取したそうです。石畳は良く管理されていた。

2.中村土居屋敷跡 町史跡(大字下津田)
光友の石畳を構築した中村宗太郎光重のお屋敷跡と思われる。特に屋敷の濠塹(ごうざん)・石垣や、館の裏山を巡らす濠(堀)・土塁などは、昔のままの形状を今に残している。
(写真 町史跡 「光友の石畳」
9.廃万福寺跡 県史跡(大字堀越)
康徳寺の末寺で、太田庄京丸地頭太田氏(三善)、のち堀越を中心として興った堀越城主小寺氏や堀越・本郷・寺町・京丸土豪連中らの護持を受けて栄えた中世の寺院万福寺(堂)があった広大な寺跡である。今は山裾の雑木林の中に、小さなお堂があり本尊薬師如来が安置されていましたが、今は保護のために康徳寺に保管されているそうです。そのほか、万福寺塔婆(7重層塔)県重文・日南宝篋印塔(町重文)・石造大乗妙典塔(町重文)また、周辺には大小の宝篋印塔、五輪塔、板碑、石仏等がある。どんな寺院があったのだろうか?
(写真 「万福寺跡の宝篋印塔」)
10.康徳寺 臨済宗・康徳寺古墳(大字寺町)
 当寺は、貞冶四年(1365)の建立で、石室善玖禅師による開基と伝える。本尊は釈迦如来坐像である。本堂では、銅造誕生釈迦仏立像(町重文)像高17.9僂鯒甸僂靴泙靴拭K榮欧ら見る伝雪舟作の庭園は見事でした。康徳寺古墳(県史跡)は6世紀後半に築造された横穴式石室を持つ古墳(県史跡)で、石室内の容量は、県内2位の規模である。

11.太田庄歴史館(大字甲山)
 「せらの宗教美術」展(祈りの造形〜せらのカミ・ホトケのかたち)仏像・神像の起源・世羅の古代・中世の様相を推し量る特別展を林学芸員より説明を受けました。
※今回世羅町文化財保護委員長蔵橋純海夫様、世羅町教育委員会学芸員林光輝様には現地学習立案・現地案内等ご指導いただき大変お世話になり有難うございました。
(写真 「臨済宗康徳寺」
7.善法寺 旧三次藩飛地(大字賀茂)
 当寺は、中世山内氏ほかの土豪が護持した寺院で、山内一帯には多くの古石塔が散在している。本尊は阿弥陀如来像、像高64僂12世紀初頭の作と思われる。薬師如来像は、当初立像であったとされているが、現在当否確認は出来ない。像高70僂琶唇唾羇の作と考えられる。いずれも県重文で収蔵庫に保管管理されている。寺院前には、宝篋印塔・五輪塔がひっそりと佇んでいた。

8.神田第二古墳 県史跡(大字堀越)
 横穴式石室に軸石のついた片開きの石扉をつけた特色ある古墳である。規模は、長さ1.5m、幅2.8m、高さ1.5mの玄室が想定できる。石扉を持つ石室の古墳は全国でも他に2例しか知られておらず、石扉が完存のものはこの古墳の他に例がない。
(写真 県史跡 「神田第2号古墳」

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