三原郷土史木曜会
                             

三原郷土史木曜会 七月現地学習「大和町訪問」

今号は、書記冨永正和さんの報告書を掲載いたします。報告書は(生寺教専時神田大池ぐ嘉沈邯士ダ貽岨μ才城址Ч谷古墳と訪問した報告書となっていますが、μ才城址は雑草が茂り城址に登らず説明板により学習しました。このためにこの場では省略します。

7月10日に予定していた大和地区の現地学習は、台風の接近予報があり急遽中止となりましたが、希望者も多く7月24日に延期し催行されました。参加者12人は車4台に分乗し、朝から灼熱の太陽の照りつける中、小さな旅へと出発しました。この度の現地学習はお二人の助っ人に同行頂きました。
ひとりは、地域おこし協力隊の若くかわいらしい女性の唐井ゆかりさん、もうひとりは大和ビデオクラブの大ベテランの近宗明さんに同行頂いた。

 
   

3、神田大池 萩原
農業用の溜池で、芦田川水系で集水面積847ha、灌漑面積210ha、満水面積8.2ha
堤高22.3m、堤長119m、堤体積125.9千㎥、貯水量550千㎥で貯留量は県下でも10番以内の規模とのこと。溜池の経過年数は約60年経過し、その間数回の改修事業をされ現在に至っているそうです。幸いにも木曜会の代表土森様が従前ダム・溜池等の仕事をされた経験を元に詳しい説明を受けた為、より一層脳裏に刻むことができた。
萩原地区の豊かな田園を潤すにも充分過ぎる溜池と思えた。
2、教専寺 浄土真宗(萩原)本尊阿弥陀如来
寛永8年(1631)初代住職淨念によって建立、もとは道場であった。明治21年(1888)寺号公称許可により教専寺と称す。同寺の10代の浄観師は宗学の大家で多くの学僧が入門研鑽した。大和町では茅葺きの寺が3軒あるが、そのひとつで風情のある建物であった。雪の積もった時は想像しただけでも絵になる。
1、宝生寺 真言宗(上徳良)本尊 阿弥陀如来
この度は先代の奥様より貴重なお話を頂いた。天正年間(1573〜92)僧有伝開基と伝えられており、元は下徳良にあり万福寺と称していた。元和2年(1616)現在の地に移り宝生寺と改名。真言宗では住職は本山からの任命制であり、4代前までは任命制であったという。鐘楼門は大正10年に補修が加えられた、移築当時のもので貴重な建造物である。現在の本殿、庫裏は台風で壊れ、其々平成6年、平成18年に新築されたそうです。
7、黒谷古墳
 椋梨川によって開けた椋梨の平地より奥深く入った黒谷の東側小支谷にあり、前面には黒谷及び耕地を臨むことができる。
築造年は6世紀後半から7世紀前半と推定
され、横穴式石室である。石室の平面形はコの字狀をなすが、石棚の上部ではT字状に近い。石棚を有する古墳は県内に例がなく貴重であるとのこと。
重い石をどのように積み上げたのか、運んだのか、先人は適当な石のある場所を探し労力を出来るだけ削減したのか、どんな道具を使ったのか想像するだけで楽しくなる。
 お蔭さまで7月24日の現地学習はお二人の同行でゆとりを持って行動ができました。大和支所でお別れをした後、私たちの大和への小さな旅は無事終了。お二人に感謝申し上げると同時に今後のご活躍をご期待申し上げます。
5、専寺 浄土真宗(和木)本尊 阿弥陀如来
この度は住職から寺の由緒のお話を聞くことができました。由緒往古は京都南禅寺の末寺で大悲山観音寺という禅寺であったという。天正3年(1575)僧浄雲の時代に、本願寺11世顕如上人より6字名号を賜り浄土真宗に改宗したと伝えられているそうです。同寺には11面観世音菩薩像があり、昔甲斐の国から和木加賀美氏の祖が持参したものと言われ、同家の母方の姓の渡辺を名乗り1字建立したと伝えられている。本堂は寛延元年(1748)の建築。本堂,庫裏も含め茅葺きのお寺は珍しく大変風情のある建物であった。今後維持されていくのは大変だと住職さんはお話をされていましたが、貴重な建物をいつまでも残し続けていただきたいと思いました。
4、芦田川源流
芦田川は大和町蔵宗(標高570m)より,世羅台地・三川ダム・八田原ダムを経て、神辺平野を潤し瀬戸内の福山湾へ注ぐ流路延長86kmの1級河川である。太田川に次ぐ県下2番目の河川である。三原の沼田川は3番目である。源流を訪ねると、湧き出る水溜りの近辺には既に花のシーズンは終わっていたが水芭蕉の葉がみられ、しかも標高570m木陰の涼しさは堪らない。

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