三原郷土史木曜会
                             

26年4月現地学習「賀羅加波神社」参拝

今号は、三原郷土史木曜会 代表土森 修さんの報告書を掲載いたします。
山々は薄緑の新芽がいぶき始めたよき日に、26年度開講式に全員の14名(先生含む)が参加しました。
平成26年度は賀羅加波神社神殿に先生以下全員集合して、金川宮司により三原郷土史木曜会の開講式及び安全祈願祭の神事を執り行なって頂き、始動しました。

 
   

3.式内社とは楪先生による講義
式内社の設定についてはさまざまな見解があるが、平安初期における朝廷との関係の深さ、あるいは支配上の必要性から政治的に決定されたものと思われる。延長5年(927)成立の「延喜式神名帳」に記録された神社で、その数は全国に2,861社でそこに鎮座する神の数は3,132座である。当時すでに存在していたのに延喜式神名帳に記載されていない神社を式外社という。
広島県の備後の国では各郡に1社(小社)で17社設けられた。安芸の国では3社(中社)が設けられた。備後の小社(17社)について、1社ごと神社名や所在地を詳しく説明を受けました。

4.感想
  式内社と式外社・小社と中社等の格付けがいかに当時の政治的な影響があったかと思える。また式内社の神主は転勤があるので、あえて式外社に留まった神社もあったのではないかと思いました。
※参考文献:延喜式内賀羅加波神社パンフレット
3)御由緒
 社名の由来については諸説あるが、和久原川が当社付近で伏流するため干川と称され、地名、社名に通じた説が有力である。
 神話によると、須佐之男神がお嫁さん探しの途中この地に寄られ、お金持ちの蘇民将来の兄に一夜の宿をお願いしたが断られました。困っていると近くの娘さんが、裕福ではないが蘇民将来さんは心の優しい方だからと言われたのでお願いしたところ、「粟のお粥」と「粟がらのござ」を敷いてもてなしたそうです。
一年後立ち寄られ、この前は大変お世話になったと言われ、「茅野輪」(腰に付ける小さいもの)を腰に付けておくよう言われました。翌朝村は、疫病で茅野和を付けている親族だけが助かったという言い伝えがあります。また、御神木として拝殿東側に千年以上の欅、西側には椋、正面にはイチョウの大木(平成25年2月20日市天然記念物指定)が境内地内に根を下ろしている。その他境内にあった大楠の昔話と、祝詞の内容等について詳しく説明を受けました。
(写真は’13年7月撮影)
1.金川宮司により神社の縁起、御創建、由緒について講話
当社は、山城国八坂祇園社の本宮と伝わる。
1)御祭神 
 ・須佐之男神(茅野輪伝承由来の神々を祀る。)
 ・蘇民将来命(疫病滅除、家内安全、開運、厄除)
 ・太久良神社(干川、定兼、光谷、常長、後山、倉之内、重田、十一面、重政)
 ・八百万大神(大谷他各地より七十余社を合祀される〈所願成就〉
2)御創建
 不明、ただし延喜式神明帳に奉記される事から延喜(900~922)年間にはすでに国の重要な祭祀を執り行なう主要な神社であった。また、神明帳に「御調郡一座賀羅加波神社」の国弊小社で御調郡一の宮、で疫病鎮護の勅願所として尊崇を集めた。

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