三原郷土史木曜会
                             

平成25年度現地学習広大総合博物館その他東広島市内

(写真は広大総合博物館を背景に集合写真)
5月9日快晴の初夏のもと、三原郷土史木曜会・月曜会・井香里会のメンバー19名は、バスにより東広島市の広大東広島キャンパス総合博物館やサテライト「埋蔵文化調査室」などを見学し、標高335m、比高110mの史跡「鏡山城跡」に登山しました。
更に史跡「三ッ城古墳」の墳頂を歩き石棺を見学して最後に安芸国分寺を訪れました。安芸国分寺では広い歴史公園をガイドさんの説明聞きながら歩きまた、住職さんからもお寺の歴史や文化財の話を承りました。

広大総合博物館(写真 館内で見学中)
ここでは学芸職員から大学の概略を聞き、館内を詳しく説明していただきました。広大東広島キャンパスは平成7年に東広島に移転し、総合博物館はキャンパスを丸ごと展示するエコ・ミュージアムであるとあります。
展示品は多種多様でありますが「広大発見ボックス」キャンパスの生き物のコーナーではテン(夏毛)の剥製があり、イタチ科で木登りが得意と説明書きがありました。「日野化石コレクション」では広島の化石層 三次市・庄原市1千5百万年まえの地層からは二枚貝・大型の牡蠣化石もみました(とても大きかった)。ブラジル北東部セレラ州にある化石産地から石灰質ノジュールの説明と魚の化石が展示してあり自分も同様な化石をもっておりよくわかりました。東広島市に生息する国の特別記念物「オオサンショウウオ」の剥製と全身骨格標本の展示品展示してあり写真に納めることができました。また、今年四月から設けられた「平和展示コーナー」では原爆ドームの金具や被曝した半熔解の瓦の説明を聞きました。
総合博物館「埋蔵文化財調査室」サテライト(写真 鴻の巣南遺跡1号住居跡)
総合博物館には5館のサテライト館がありますがわたくしたちは埋蔵文化財調査室サテライト館が見学コースに組み込んであり展示室で説明を聞きました。キャンバス内では、旧石器時代から近世までのすべての時代の遺跡が確認されているという。調査室の職員からはこのあと訪れる鴻の巣南遺跡1号住居跡からの遺物、弥生土器・砥石・鉄の釣り針などの展示品の説明、特に鉄の釣り針は現代のものとほとんど変わらない形状である。
展示室から4,5百メートル離れた場所にある鴻の巣南遺跡1号住居跡に移り弥生時代後期(約1500年前)竪穴式住居跡を見学しました。住居跡は約5メートルの大きさで、50儖矛,蟆爾欧討△蝓骨組みも建築中でした。広大の見学は以上のコースで見学時間約1時間30分でした。
鏡山城跡(写真 御殿場を望む)
鏡山城跡のある鏡山公園で昼食を摂り、ここからは東広島ボランティアガイド2名様に案内してもらい、紙芝居方式という大きな用紙に書いた文字や写真によって要所要所で説明を聞きながら登山しました。
鏡山城跡は西条盆地のほぼ中央、標高260〜335mにある城跡で、山頂に御殿場を置き、中のダバ(ダバ=段場力と呼ばれる郭)、下のダバ、畝状竪堀群、井戸などの遺構が大変良好に残っている中世山城で、平成10年1月14日室町時代を代表する地域の拠点的な城郭として国の史跡に指定されています。城は室町期に山口の大内氏によって築かれ、1523年にこの城をめぐって争われた大内氏と尼子氏の戦いで、毛利元就の活躍したことでも知られているそうです。
登山コースは4コースあるといわれ南のメインコースから登り、下山は鏡山公園に降りるコースをとりました。急峻な所が多く、手すりはなく石段でなく木段を慎重に一段一段と登りました。汗をかきながらの往復約40分の登山見学でしたが、見所は畝状竪堀群、大堀切などで頂上御殿場からの眺も360度西条全域が望めて素晴らしい山城でした。
三ッ城古墳(写真 三つ城一号古墳)
三ッ城古墳は東広島市西条中央7丁目三ッ城近隣公園に所在する三基からなる古墳群で昭和57年(1982)6月3日に国史跡に指定されています。
第一号古墳は全長92メートル、後円部の直径約62メートル高さ約13メートル、前方部先端の幅は約66メートルで県内最大の前方後円墳。駐車場で説明を聞きながら古墳を眺めると埴輪がきれいに古墳の縁を彩っていますが、古墳全体では1800本で円筒埴輪8本に朝顔形埴輪7本の割合であると説明を聞きました。更に前方部先端には鶏、馬、盾・靭、冑・短甲水取鳥などの形象埴輪がありました。墳頂をみんなで歩き埋葬設備は箱形石棺の外側をひと回り大きな石棺で囲んだ二重構造(石槨)でありました。
第二号古墳は直径約25メートル、高さ約5メートルの円墳で1号古墳より早く出来ているそうです。
安芸国分寺(写真 護摩堂)
国分寺は天平13年(741)2月4日、聖武天皇の詔によって全国に僧寺と尼寺が建立されたが、安芸国分寺は真言宗御室派の僧寺で天平勝宝2(750)年頃に建立され法要が行われたとされています。
ここではガイドさんの説明と住職からも説明を聞きました。江戸時代後期に建てられた護摩堂は重厚な建物で、正面向背には浅野家の家紋が掲げられています。宝暦9(1759)年4月の火災で多くの建物が焼失するが、その後18世紀から19世紀にかけて再建されている。金堂も焼失し、ご本尊「薬師如来坐像像」(市重文)は助け出され平成の再建で現在は金堂に安置され33年開帳の秘仏である。住職には護摩堂、薬師堂を開けていただき内部も拝見できました。薬師堂の「木造薬師如来坐像」(市重文)は火災で顔の表面が炭化していました。その他「長寿真言」の3言葉などを聞きました。
安芸国分寺に平成20年に訪れていますがその時は発掘や建物工事中で混雑していましたが、今回は公園化され非常にきれいになっていました。案内版も極彩色で充実していました。最後に国史跡「安芸国分寺塔跡」を見学して三原に帰りました。

前のページへ戻る
みはら市民協働サイト つなごうねっと