三原郷土史木曜会
                             

11月現地学習大和町廃斗山寺跡・古刹、竹林寺など

10時前、廃斗山寺跡の「斗山寺公園」麓で、駐車を依頼していた七田さん宅に着きました。主人に出迎えられ13名で学習に向かう旨挨拶を交わし、ここから廃斗山寺跡までは約1劼播綿發任△襪先生の足には悪路であり、ここから軽トラックを借りて先生を乗せみんなは歩いて出発しました。
廃斗山寺跡に到着すると公園とはいえ、入り口付近の平らな部分には雑草が延び周囲の傾斜部も荒れた様子であったが、もみじの木が数本あって紅葉の盛りで青空と共に大変きれいでした。

(1)廃斗山寺跡(斗山寺公園)
斗山寺とは大和町萩原西北部の「守斗(もりと)山頂にあった寺で、御調八幡宮所蔵の古文書「三蔵記集録(県重文指定)」に、文永12年(1275)斗山寺で書写されたお経の一部と思われるという鎌倉時代の貴重な資料が残っている。また室町末期まで栄えた寺と先生は説明されました。
公園に設けられた「萩原をよくする推進協議会」斗山寺の想像図が示してあり、仁王門、金堂、講堂、付属設備などについても先生の説明を聞きました。
公園は、数年前には公園全体が整備され仁王門、金堂などの位置が示されていましたが今回は雜木雑草が延び公園全体を歩くことができなく残念でした。(写真は想像説明図の前で)

 
   

(4)棲眞寺(臨済宗妙心寺派 本尊 千手観音)
棲眞寺(大和町平坂)には竹林寺からフルーツロード「スカイアーチ」を渡って14時30分頃到着しました。早速11代亮雲住職の寺の生い立ちの話をNHK大河ドラマ「平清盛」伝説に比較して話されました。次に収納庫で、二十八部衆のうち棲眞寺に存在する13体(県重文・鎌倉時代雲慶作と伝えられている)。(不足の15体は寺の火事などで紛失したもの)。住職の解説を交えて見学しました。(写真 棲眞寺山門から)
(3)竹林寺 (真言宗、本尊千手観音)
竹林寺には12時過ぎに到着し、本堂の周りの日陰で弁当を食べました。13時から本堂で住職の竹林寺の説明を聞きました。内容は寺の創建からの歴史や、伽藍や文化財の説明また「竹林寺縁起絵巻」(県重文)有名な小野篁の伝承を説明されました。
竹林寺の創建は、行基上人が篁山の頂上の桜の大木で自ら千手観音を彫って寺を開いて「桜山花王寺」とした。また、小野篁(802〜852)が京都より帰り十王堂を建設した後に「竹林寺」と改称された。本尊は33年に一回開帳する秘仏で、前回の開帳は平成22年に行われている。
竹林寺に駐車場側から参詣するとすぐに小野篁の説明板と「小野篁生誕地の碑」があり更に進むと仁王門があります。中には一対の仁王像・金剛力士像で住職の話では「平成3年秋の台風で仁王門が倒れ、仁王像を修理した際に体内から興国4年(1343)修理した旨の書き付けが見つかった(市重文)」。仁王像は誰かが「プラスチック製」かと云ったぐらい表面皮膚の光沢の美しいものでありました。
大池に架かる太鼓橋を渡って境内に入ると、正面が玄関で右手に十王舎(閻魔王など九王と小野篁の仏像が収納してある)、左手に護摩堂・篁堂があります。
本堂は永正8年(1511)創建の国重要文化財。昭和62年本堂の解体修理を行っていますが。この時書き付けが見つかり建築には33年かかっているそうです。
住職の講話がすんで境内の散策と三重塔跡に登り住職の話の中に出た文化財などを見学しました。境内にある七重層の石塔と宝篋印塔は河内町入野にあった中山城から移したもので享禄3年(1530)8月と年号入りのもの。三重塔跡には現在阿弥陀仏像がありますが、大正末期までは三重塔があったそうです。この三重塔は現在東京椿山莊に移っている、また平清盛が修理した旨のことが書かれているそうです。(写真は竹林寺本堂)
(2)古武子遺跡(三原市重文)
古武子遺跡は守斗山麓と県道45号の間にある田圃で東西約300m、南北約200m一帯に所在したと推定される弥生時代前期後半から後期までの遺跡工房跡。昭和56年の圃場整備に伴い木製品や弥生式土器などと共に大量の磨製石器類が出土している。蛤刃石斧の未製品が中心であるが環状石斧やノミ型石斧なども含まれている。(現場の三原市教育委員会説明板より)。
遺跡に隣接する七田宅で田圃から出土の石斧の未製品、板片、木片、陶器破片などを見学しました。(写真は三原市教育委員会説明板より)
(6)定ケ原の宝篋印塔
(5)の写真の塔全体写真
(5)定ケ原の宝篋印塔(大和町定ケ原・県重文)
最後にもみじの紅葉の中の宝篋印塔を見学しました。先生からは宝篋印塔について見方などの説明を受けました。
また、この宝篋印塔は源頼朝の子女で土肥遠平に嫁いだが早世し、法号を天窓妙仏大禅尼公といった、妙仏尼の生母たる壽庵尼の古墳といわれる、この宝篋印塔は規模の雄大なことと、美術品価値において全国的に比類なき希有なものといわれている(応海山棲眞寺記による)。
宝篋印塔を見終わって16時頃定ケ原を出発し16時30分中央公民館に帰着しました。

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