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< 目 次 >
表紙:山陽新幹線三原駅誘致秘話
写真:山陽新幹線開通
三原駅でのテープカット
幸崎「浮鯛抄」と「能地八景」
幸崎 行長哲三
山陽新幹線三原駅誘致秘話 (1)
須波西 西原達夫
八幡藪事件の謎(2)
糸崎 大谷和弘
古浜の今昔(4)中之町 山根光博
<行 事 予 定>
1.春のハイキング
「中世山城の探訪」参加者募集
(1)日 程 H24年 4月08日(日)
(2)コース
三原駅バス停7:40発→福泉(真
良)→真良山城→稲村山城跡
(小坂)→善根寺(小坂)→鶴山
城跡→三原駅16:50頃
(3)参加費 300円(バス代別)
(4)持参品 昼食,飲み物,杖,
バス運賃等
(5)申し込み
レキカン事務局宛、はがき又は
ファックスにて、氏名、住所、電話
番号を明記の上、願います。
(6)申込み締切り 4月03日(火)
2.「第三回 山城郭勉強会」
参加者募集 !!
(1)日 時
H24年3月24日(土)10時〜12時(2)会 場
サンシー2Fまちづくりルーム
(3)内 容
1月の座学と2月の桜山現地研 修を経験して、その復習と今後の勉強会の進め方を参加者全員で話し合う
(4)参加費 無料
(5)申し込み 不要
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< 歳 時 記 >
幸崎「浮鯛抄」と「能地八景」
幸崎町 行長 啓三
古く中世では才崎あるいは近世においては佐江崎と表記されていた幸崎は, 少なくとも歴史に登場する時代から鯛漁を生業とする漁業の地であったことは, 浮鯛に関する伝説(日本書紀巻八)によっても明らかである。
浮鯛というのは, 毎年立春(節分頃)の四十日後から, 立夏(八十八夜頃)の数日前まで, 春先二ヶ月ばかりの間の大潮の日を中心に前後七日間くらいに, 能地浮幣社の前の海に, 鯛が波間に浮かんで流れることを言う。これは, 幸崎町久和喜と宇和島との沖にある有龍島西の能地堆で, 豊後水道から産卵のため瀬戸内海に入った鯛が, 大久野島沖の深海から能地堆への潮流のため,急上昇させられ, 水圧の激変のため浮袋を口の外にはみ出し, 一種の昏睡状態におちいり浮遊する現象を言う。
漁民は, この漁体を横にして波間に浮かび流れる鯛をタモですくいとる漁業権を持っていたのである。
「浮鯛抄」の成立は, この「能地の浮鯛」に由来し, 古歌の題材となったり, 文士の遊びに使われた。また, 江戸時代中期頃より,家船(えぶね)によって長く海上漂泊し, 瀬戸内海沿岸の各地に枝村を残し, 日本の漁民史上, 特異な性格をもつ能地漁民が, その由諸を巻物にして持ち, 渡りの職業集団として, いわゆる身分を誇示するお墨付きとして使用したという。
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この「浮鯛抄」に「能地八景」(能地=幸崎)の記載がある。 日本各地にみられる八景にならい文人が選んだものと考えられる。その八景にあげられたのは, 「高根の朝霞」「越智の積雪」(大三島の400m級の山々)「安直潟の漁舟」(現幸陽ドック埋め立て前の干潟)「葉多岡川の蛍」(幸崎小中学校横現畑岡川)「宮山の秋月」(現幸崎神社)「東浜の一船」(現幸崎漁港)「天満の梅林」「鐘ヶ崎(カンザキ)の客船」(現セブンイレブン店北側丘陵)である。
幸崎再発見の手がかりに, この「浮鯛抄」「能地八景」を活用できないものかと考えていた矢先, 歴観メンバーと「三原(旧)一周膝栗毛コースの整備」で浮鯛神社(浮幣社)の草刈作業中に取材を受けた, 中国新聞のコラムニスト(中国新聞毎週月曜日掲載「街に会う旅を歌う」H23.10.24「浮鯛の宮」)との出会いは, 故郷の歴史を再考させるよい機会となった。
< 編 集 後 記 >
★今年の三原神明市、幸い、期間中穏やかな気候に恵まれた。三日間で約33万7千人の人出があったという ★レキカン会員でもあった久保等さん。みはらだるまの復活を願ってだるま工房を立ち上げ、伝統のみはらだるまを守りつつ、干支だるまやオクトパスだるま等新作も連発するアイディアマンであった ★昨年11月に逝去されたが、跡を継いだ佐木島の鳥生悦郎さんのグループが神明市に用意した800体のだるまは、2日間で完売する人気だったという ★久保さんも安堵されていることであろう。合掌。(健) |
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